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[01]


 まず、あの子の記録を残しておこうと思う。


 あれは一二年前の秋のことだ。
「今……なんと?」
 私――いや、俺は耳を疑った。
「ですから、今すぐ大学院を辞め、『葉山未来技術研究所』に五年契約で来て頂けるなら、税抜きで年俸一億をお渡しする用意があると――そういうことです」
 答えるのはテーブル対面に座るビジネスマンだ。ダークブラウンの背広をビシッと着込み、赤みがかったストライプ模様のネクタイを首に巻く三〇代半ばといった風情のビジネスマンが、どういうわけか、俺の目の前で穏やかに微笑んでいるのである。
 俺は周囲を眺めた。
 確かめるまでもない。ここは図書館に隣接している大きなロビーの一角だ。デザインしぶるな椅子を添えた丸いテーブルが全部で八つ点在している。いずれも無人だ。観葉植物の向こうがわにある長椅子にも人影はない。それもそうだろう。今は深夜二時。そもそもロビーは薄暗く、コーヒーを買いに来た俺自身が一部の蛍光灯を付け、一息ついていたところだ。
「……ドッキリですよね?」
 俺はビジネスマンに尋ねた。
「ですから、これを良くご覧下さい」
 改めて差し出されたのは、一枚の契約書だ。
 年俸一億(税抜き)。しかし五年間はいかなる理由があろうと退社することはできず、契約内容を含む一切の情報を外部に漏らしてはいけない。漏らした場合は五年分の年俸を支払ってもらう。だいたい、そんなことが書かれてある契約書だった。
 雇用差の名前は葉山京介(はやま・きょうすけ)。
 被雇用者の名前は桝添裕一郎(ますぞえ・ゆういちろう)――つまり俺だ。
「いや、いくらなんでも……」
 半信半疑の俺はテーブルの上の契約書をビジネスマンに突き返した。
 誰だって同じように対応するだろう。
 深夜の大学。研究のため泊まり込みで作業をしているところに、突然声がかけられ、「あなたを一億円で雇いたい」なんて言いだしてくるヤツ、信用できるはずがない。
「書面にも書かれておりますが、サインしていただければすぐにでもこれを……」
 ビジネスマンはアタッシュケースの中から何かを取りだした。
 ブロック――いや、ビニールで包装された一万円札の塊だった。
「一〇〇〇万円あります。お確かめになりますか?」
「いえ……」
 さらに胡散臭い。どう考えてもドッキリか何かだ。
「困りましたね……」
 ビジネスマンは本気で困ったように顔をしかめた。
「もう一度言いますが――私は葉山京介氏に雇われたヘッドハンターです。彼が指定した方々を、なんとしてでも連れていくのが私の仕事なのです。もちろん、葉山京介氏のことはご存じですよね?」
 当たり前だ。知らないはずがない。
 葉山京介といえば、日本が生んだ異常なる天才技術者だ。幼少の頃から非凡なる才能を発揮し、一〇代のうちに単身渡米。あっと言う間にMITの博士号を次々と取得したばかりか、今では携帯電話にさえ利用されているニューロチップを開発し、一躍、世界屈指の大富豪にのし上がった人物だ。
 もっとも、彼が有名である一番の理由は、その奇行ぶりにあると言われている。
 彼は九〇代になった今でも夢見る少年であり続けている。手にいれた莫大な資産は、全て未来技術の研究開発に当てているという話だ。実際最近もフロリダで史上初のエアーカーの公開実験を敢行しており、これが見事成功したことで、次のTIMEでは三度目になる表紙を飾るだろうと言われている。
 ただ――
「一応、こっちも改めて言っておきますけど……俺、単なる院生ですよ? 確かに人工知能の研究はしてますけど、大学にだって一浪して入ったわけだし、院生の中でもはっきり言えばオチこぼれ。そんなヤツ、ヘッドハントする馬鹿がどこにいるんです?」
「葉山京介氏です」
 彼は笑みを浮かべたまま応えた。
「氏はあなたの個人サイトをご存じです。そこであなたが展開している人工知能に対する独自の論理――その発想を、求めておいでです」
 結果だけを語ろう。
 俺は騙されたと思って契約書にサインし、翌日、指定された場所に向かうことにした。
 技術者を標榜する者なら、誰だってそうしたはずだ。
 自説を認めると言っているんだぞ? 金は別にしても、少しは心が動くってもんだろ?


 移動中、俺はアイマスクを付け、ヘッドフォンから鼓膜が破れるかと思うほどの音楽を聴かされながら遠いどこかに連れて行かれた。
「後始末は全てお任せください」
 ヘッドハントに来たビジネスマンの言葉は、後に本当であったと実証される。
 感覚からすると、俺は一時間ほど車に乗り、どこかの小さな飛行場でヘリコプターに載せ替えられ、さらに一時間ほど飛んだ場所で小型ジェット機と思われる飛行機に乗せられ――目覚めてみると、南国の孤島に連れて行かれていた。
 開いた口がふさがらない。
 こんなことなら、睡魔と戦い続け、時間ぐらいは把握しておくべきだった。
「こちらです」
 案内してくれたのは小型ジェット機――窓は全て見えないよう処理されていたが、機内に入るとアイマスクとヘッドフォンは外してくれた――で何かと世話をやいてくれたフライトアテンダントのお姉さんだった。
 徒歩で向かったのは南国の孤島に相応しい船着き場だ。
 そこからさらにモーターボートで三〇分。俺は椰子の木が生い茂る小さな島に、取り残されることになった。
「嘘だろ……」
 だが、俺をここに連れてきたモーターボートは海の彼方へと消えようとしている。
 振り返れば、砂浜の奥に丸太で組み上げられたログハウスがあった。
「いろいろとご不満や疑問もあると思いますが、あの中に入り、お待ちになってください」
 ボートで去る直前、フライトアテンダントのお姉さんはそう言い残していた。
 まぁ、いい。
 どうせ身軽な身の上だ。両親も亡く、親戚とも疎遠。友達はいたが、親友と呼べるほどの友達はおらず、彼女らしい彼女だって半年前からいないままだ。
「なにしろ葉山京介だもんなぁ」
 アイマスクとヘッドフォンを渡された時点で、すでに覚悟は固めている。さもなければ、そこで逃げ出すのが普通だろう。
 いや、それ以前に俺の自説を、本当にあの葉山京介が評価しているのか、その点を知りたいと思った。院では教授を始め、ほぼ全員から夢物語の烙印を押された俺の自説。もし葉山京介が評価しているとするなら、それを確かめる手助けを……
「んっ?」
 何か聞こえた気がした。電子音のような……あの小屋か?
 俺はログハウスに向かい、思い切ってドアを開けてみた。
 電子音が鳴り響いている。テーブルの上に置かれた大きな携帯電話の音だった。形からすると衛星通信を利用する特殊な機種らしい。ただ、それ以前に室内の光景を目にした俺は、驚きのあまり目を見開き、動けなくなっていた。
 普通の部屋だ。
 テラスに面した大きな窓にはレースのカーテンがかけられている。その手前には絨毯が敷かれ、部屋の隅には巨大なTVが置かれてあった。携帯電話が置かれたテーブルは、そこから少し奥まったところに配置されている。俺の目を奪ったのは、そのさらに向こう側に置かれてある、巨大なワークステーションだ。
 大急ぎで駆け寄り、確かめてみる。
 ニューロチップを搭載した最新式のワークステーションだ。旧時代のスパコン並みの性能を誇り、うちの大学でも二年前にようやく一台だけ導入したという超が付くほど高価なマシンだ。それが三台も置かれてあった。しかも各ワークステーションはエクサbps級超高性能光ファイバーケーブルでつながれ、二台の二一インチ平面ディスプレイと、傍らにある横置きされた巨大なポッドにつながっていた。
――ピピピピッ ピピピピッ ピピピピッ ピピピピッ
 携帯電話がなおも鳴り響いている。
 俺は半ば放心状態のまま、携帯電話を手にとった。
「……もしもし?」
〈こんばんわ――いや、そちらはこんにちわだったね。葉山京介だ〉
 流れてきたのは老人の声だった。乱れていた意識が一気に覚醒する。
「ま、桝添裕一郎です!」
〈本来なら直接対面するべきなんだが、今は人と会うこともできない状態でね。電話での挨拶、許してもらえれば助かるよ〉
「と、とんでもありません!」
 俺は舞い上がってしまった。なにしろ相手は世紀の天才、ニューロチップの生みの親、葉山京介なのだ。俺は意味もなく直立不動の姿勢をとった。
「こ、このたびは、ま、まことに、きょうしゅ、しゅ、しゅくの――」
〈なに、緊張することは無い。君は私の共同研究者の一員になるのだからね〉
「きょ、きょうどうでありますか!?」
〈ところで桝添くん。今、私は寝たきりの生活をすごしている〉
 葉山京介は妙なことを話し始めた。
〈ものを食べる力すら無い。声も出せない。そんな状態にあると言ったら、君は信じるかね?〉
 何を言いたいのか理解できなかった。
〈では、こう言えばわかるかな――今、私の肉体は眠っている。しかし、私はインターネットを通じ、君に電話をかけている〉
「――PV!?」
〈ご名答。さすがだよ。私が見込んだだけはある〉
 葉山京介は満足げにそう告げてきた。
 しかし、正解を応えた俺自身は、まだその事実を受け入れられないでいる。
 PVとは完全仮想現実(Perfect Virtual-reality)の略称だ。まだ開発途上にあるHMDとデータグローブを使うFVこと擬似仮想現実(False Virtual-reality)のさらに先を行く技術であり、今世紀中の完成は無理だと言われている正真正銘の未来技術だ。
 だが、葉山京介は自ら認めた。
 自分は肉体の衰えが激しく、PVを利用して電話をかけてきたと。
〈実は二年前に実用化にこぎ着けていたんだよ〉
 葉山京介は穏やかに語り始めた。
〈何十年も前から研究を重ね、どうにか形にできたのだが……今のところは、SHKクラスのワークステーションと、ヨタbps級のケーブルを使わなければ動かない程度の代物でね。そんな金食い虫を発表するわけにも行かず、今日まで自分だけで利用してきたんだが……〉
 SHKクラスのワークステーションとは、葉山京介のイニシャルを関した、一台一兆円もする超高性能機種のこと。ヨタbps級ケーブルとは、今でさえ一センチメートル一〇〇万円と言われるエクサ級の千倍の千倍の速さを持つケーブルの意味。まさか――
「ここにあるのは……」
〈未発表のUHKクラスを三台。ケーブルは全てヨタbps級。それと、PVポッドが横にあると思うが、ちゃんと届いているかね?〉
 俺は目を見開きながら、横向きに置かれた巨大なタンクを凝視した。
 傍目にはマーキングもされていない、両端が丸みを帯びている細長い円筒のポッドにしか見えない。大きさはシングルベッドと同程度だ。取っ手があるので開けてみると、中には幾多のコードにつながったメッシュのボディスーツと、ゴテゴテといろんな装置がついているHMDが置かれてある。
「これが……」
〈神経接続型仮想現実体感装置――私は単にデバイスと呼んでいるよ〉
「デバイス……」
 頭がクラクラしてきた。まるでZ級SF映画の主人公になった気分だ。
〈君にはそれを使い、人工知性を作って欲しい〉
「…………」
〈掲示板での論争は全て見させてもらったよ。君のアイデアは奇しくも私が抱いていたものとまったく同じものだ。完璧に脳神経網をエミュレートすることで、より人間に近い人工知能を実現する――それこそ、私が理想としているものだ〉
「あなたは……」
 俺はデバイスを身ながら眉をしかめた。
「最終的に何を目指しているんですか?」
〈子供の頃の夢だよ〉
 葉山京介は応えた。
〈PVを使った多人数同時参加型オンライン・ヴァーチャルリアリティ・ロールプレイングゲーム(Massively Multiplayer Online Virtual-reality Role Playing Game)。それで遊んでみたいだけさ。面白いとは思わないかね?〉
 やはりこの人は異常なる天才だ。
 そんなことのために、軽々と数十兆円もの資産を費やし、うだつのあがらない大学院生を五億円でヘッドハントするなんて、正気の沙汰とは思えない。俺にはもはや、続けて告げるべき言葉が無かった。

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